Chief Interaction Designerという肩書き

UXが付く肩書きがもつ不安感
という記事を読んでいたら、グーグルが今募集をかけているUX関連の求人情報を紹介していたくだりがあった。
その中でひときわ目を引いたのが
  • Interaction Designer : インタラクションの見せ方と実装に特化
このくだり。

まさしく正しい認識だなあ、さすがと膝を打つ思いだった。

UX関連の職種に期待されている職能の範囲はあまりにも広い。
これについてはリンク先の記事にある通りでとくに付け加えることはないのだけれど、本来的な話をすれば、これらの「職種」になっていく過程における動機付けが欠けていることが多いのではないだろうか。

出来事ドリブンで、「こういうことをやりたい」という思惑や「こういうものをつくりたい」という作品志向で動いてきた自分自身のキャリアの中で、そもそもUXを中心にした考え方や動きをするようになったのは、最初につくりたい物があったからだった。

そして以前所属していたタイムアウト東京でつくった「渋谷アプリ」とそれを作るにあたってふさわしい肩書きとして考え、自ら名付けたチーフインタラクションデザイナーという名前と、そこに寄せた思いについてもまた、ふと思い出した。

つくりたいサービスをつくるには、沢山の人の協力や尽力なくしてはありえないし、そのインタラクションの実装に注力したい、と考えていた。

でも実際のところ、その協力してくれる誰かについて、実際に動き、触れ合い、顔を付き合わせて真剣に向き合うことが当時の自分には出来ていなかった。
そしてそれこそが、街にあたらしいサービスを実装する野心的な試みを、中途半端なレベルで終わらせてしまった原因でもあったのだと思う。

ingressがのちにあらわれ、ARというものを理解する人が増え、hololensが使い物になりそうになってきた今の潮流を見ていると、今こそあの当時に思い描いていた「街」への接続「ジャックイン」が出来るようになりつつあるのをまた感じる。
大いに矛盾しているようではあるけれど、仮想空間のサービスをいわゆる「現場」をよりよく楽しむために作りたいという強化現実的なアプローチが、理解され、支持されるようになるのも近いのではないかと思う。
DJがかけている魅力的な曲がどういう曲なのかとか、今向かおうか検討しているクラブのいくつかでどんなイベントがやっていて、今誰が回しているのかとか、そういうことを「想像」とか「記憶」に頼らないとわからない、もしくはその推定があたってないかも知れない、だとか思い出すことが難しい、だとかいうこと自体が、ほどよく解消されていけばいいなと思っている。

もっというと、2019年がこの程度だってことに未だに失望しているからこそ、自分のやらなければいけない仕事の範囲とか、職能について、またしっかりと座して考えようと思えるきっかけをもらえた。

やろうとしていること、やってきたこと、できたこと、できなかったこと、それぞれしっかり思い巡らせる時間に意味があると思える日々が来たことには少なからず興奮しながら

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