2014-11-14

このPermalinkの長さが全てを物語ってr

http://www.prnewswire.com/news-releases/sony-network-entertainment-international-and-sony-computer-entertainment-unveil-playstationvue-a-new-cloud-based-tv-service-that-pioneers-the-future-of-television-282517811.html

2014-09-25

マイルストーンの意識

大きなマイルストーンをイメージすることからはじめなければいけない。

例えばプロジェクトのローンチまで、どのようなフェーズがあるのか。

単純な開発プロジェクトのPMの目線で考える範囲として、
予算の配分、期間の配分、スケジュールのチェックをまわすために、すごくざっくりだと

・要件定義

プロジェクトに課された使命を明らかにする。
達成すべき要件を確定する。
(達成する必要のない要件も同時に明確にしてメンバーに周知する必要もある)

・設計

要件を満たす成果物を定義する。
成果物が何であり、どのようになっているべきか定義する。
機能設計や詳細設計の段階では、担当技術者に設計を記載させる。

・開発

設計に基づいた開発を行なう。

・単体テスト

各開発物が設計に応じた動作を行なえるかについてテストを行なう。

・結合テスト

単体動作を満足した開発成果物が関連する開発成果物と結合して動作するかテストを行なう。

・総合テスト

結合動作を満足した開発成果物全体が当初与件と要件を満足して問題なく動作するかさらなるテストを行なう。

くらいなものだろう。

これらをプロデュースする観点にたって見れば、

・顧客は誰なのか
・どういった商品としてのCIを確立させるべきなのか
・またそれに見合ったプロモーション戦略はどのように行なうべきか
・コンプライアンスは満足されているのか
・事業として成立するために、どの程度の売り上げをどのタイミングまでに達成しておくべきなのか
・目標の売り上げを達成するためにどの程度販促予算をかけるのか

これらをはじめとした諸問題をいつ、どのように実施するのかなど情勢に応じたかなり流動的な事象へ対応する能力が求められてくるのだろう。

単純にわかりきった道程に対してマイルストーンを置くという事柄より、より不明確な対象に思えると、マイルストーンを置く事自体が難しくなってしまう。

ただ、そこに「必然性」さえ見いだせれば、強制的にそれは叶うとも思える。
必然性を巻き起こす努力が、前進する力になるのだと信じて行動を続けるしかないだろう。

どこまで行っても、「射撃しつつ前進」なのだろう。








2014-09-02

テレビの解像度はあがるけど使い勝手はどうなるのか

HD当たり前になって、なる前には「そんなの意味ないよ」派だった俺ですが、実際に現実になってしまうとかつてのSD画質のものを見るにつけ「こんな汚いの見てたのか…」ってなります。

なので4Kだの8Kだので盛り上がって現実になるのはある意味反対すべきことでもないかっておもって眺めているのですが。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140829/k10014195331000.html

東京オリンピックに間に合わせるために2年早めたそうで。

さて、テレビの使い勝手の悪さは放置されたままなのですが、そこは規格ではなくて個々の機器メーカーが自助努力せよ、というかそもそも考えの中に入ってないのか。

一度大々的にこうあるべきモデルを描いて発表した方が何かの足しになるのかも知れないですね。

2014-05-12

ブログを書くということ

ちょっとだけ、人の役に立ちそうなバッドノウハウが手に入った場合、公開してしまって差し支えの無い範囲の話ならブログに書こうかと思う。

結構いいノウハウや面白かった話なんかも、書きたくても書けない事情を考慮せざるを得ない場合がここ何年も増えていて、良くも悪くも「さしつかえのないはなし」だけをたまにひっそり書くだけになってしまってる。

書いてもみんなに読んで欲しい!って思える内容のことも必然的に少なくなって来る。

ただ、他のブログを読みあさってコピペで作り、独自の要素を加えてキャッチーな話題を提供した、釣りタイトルのブログを書くよりは、ここでマイペースで更新していくことってとっても気持ちいいと思い始めてきた。

特に書きたい内容が皆無だとしても、毎日書いてもいいかなって思うようになった。
(でもどうせ毎日なんて書くまいと思うが)

最近はほぼ毎日、股関節ストレッチを起きるや否や続けている。
股関節が固くなりすぎて、腰痛の原因になっているのもわかってたし、何よりフットサルをたまにやることで精神のバランスを取ってる最近の生活の中で、楽しくプレイ出来るか出来ないかが結構股関節にかかってることがわかってきたから。

ボールタッチの瞬間に、単に力が出せてないだけでなくて、適切な角度とタイミングでインパクト出来てないと本当にフットサルはうまくボールを操れない。
ボールの反発を利用して叩くような動きでコントロールしたいのに、なかなかさせてくれないフットサルボールのおかげで、しっかりと足を動かす必要にせまられているからこそ、股関節を柔らかくたもつことがとても意味をなしてる。

毎日続けることをもっと増やして、意識をしないで努力が出来ている状態に持ち込みたい。
努力を努力と意識しないといけないほど、情熱が失われてしまったのか、時々疑問になるけど、ずっと昔より手を動かすことよりも判断を下すための情報を採取している時間があまりにも長くなっているからこそ、情熱を感じないのかも知れない。

たいしたことのない、些細なことを積み重ねることでしか、成果ってでないんだと思うから、腐らずに続けていこうと思う。

2014-05-08

iTunes Match ではまったみなさんへ


はまったかな?の見分け方

iTunes Matchの画面が5分くらい動きのない状態に陥ってたら止まってると思っていいです…厳密に調べる方法もありますけど、そこまでしなくても5分も固まってたら、はまってると思って間違いないです。

そのままにしといてもたぶん終わらないと思うので、ひっかかってしまってるステップごとに対策してみて下さい。

ステップ 1ではまったひと

ちょ、今更wと思うかも知れませんが、経験的にiTunes Matchをonにしにいく前にGeniusをアップデートしてみて、終わらせとくと進みがいいです。
ここで自分のライブラリの解析そのものに時間がかかるのはまぁ曲数が多かったり、長時間作品(ミックスものなんかあると特に1時間越えとか普通ですよね)なんかがあると長いみたいです。極端に時間が短い、または長いトラックはどのみち不適格とか言われてiTunes Matchさせてもらえなかったりするのですが、解析そのものは時間かかるみたい。
にしても、ここでも画面が5分くらい動きがなければ考えるべきかも知れません。
気長にほっといていいや、ってスタンスでも20分とか動かないのはヤバい。

そのままにしといてもたぶん終わらないと思うので、ここではおもむろにiTunesアカウントからログアウトしてみちゃって下さい。

iTunes Storeを開いて、ログアウト。

ついでといっては何ですが、iTunesそのものを一旦終了、再度起動してStoreメニューから「iTunes Matchをオンにする」を選びログインしたって下さい。

ステップ2ではまるひと


いちおう2まで進んで、その上でまたはまり続ける場合は、iTunes Match画面の右下の「停止」ボタンを押して一旦進行を止める。

んでStoreメニューから「iTunes Matchをアップデート」を選んでみましょう。
(Windowsだとストアメニューがカタカナだったりアップデートが更新だったりするかも知れませんけど確かめてないです)

これを何度も繰り返してもにっちもさっちもって感じではまり続ける場合は、奥の手ですがiCloudの状況を確認しましょう。

表示メニューから「表示オプションを表示」を選んで「iCloudダウンロード」にチェックを入れます。
ライブラリの中からiCloudの雲マークが点線になってるやつらをどっかにフォルダでも作ってドラッグアンドドロップ。そんで確保出来たら点線の奴らを全部いったんライブラリから削ってしまってから「iTunes Matchをアップデート」にリトライしてみて下さい。

障害を克服して一旦ステップ2がこれでクリア出来るかと思われます。


ステップ3ではまるひと

ステップ2のはまりを脱したら3ですが、ここでもはまることはあります。
同じく「iTunes Matchをアップデート」のリトライ、それでも強烈にはまる場合はログアウトを試してもいいかも知れません(気休めにはなります)

一旦ステップ3まで走り終われたら、ステップ2の時に退避したデータをライブラリに戻してまた「iTunes Matchをアップデート」をしてみましょう。

今度はきっとうまくいくと思うよ!

だめっぽかったら連絡下さい。
@naotake
あたりにMentionでよろしく。

※意外にビューが伸びてるみたいなのでスクショとか気が向いたら追加しようかなと思ったけど、必要かな?

2014-02-16

雪で孤立する国民多数、政府からの対応なし

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014021600098

 午前10時現在、東京・富ケ谷の私邸。朝の来客なし。 午前中は来客なく、私邸で過ごす。 午後も来客なく、私邸で過ごす。 午後5時31分、私邸発。 午後5時49分、東京・赤坂の天ぷら料理店「楽亭」着。支援者らと会食。 午後7時50分、同所発。 午後8時5分、私邸着。(2014/02/16-20:13)

国民の生命を守る意識がない首相は支援者との会食に出かけてそのまま私邸に戻った。
自衛隊が救出に出動する自体が発生している。
停電、孤立した村、動かない高速、その他一般道、雪によるライフラインの保全すらあやぶまれる事態が各所で発生した時にあらためて、何の対応も出来ない政府。

こういう時に率先して指導、対策、広報、出来ることをすぐにやることすら出来ないような首相が集団的自衛権の行使とか片腹痛い。

集団的自衛も結局国民それぞれの対策のみか。
対策本部がたったのは今日の昼過ぎだったそうな。

2014-01-10

2011年3月11日に感じた違和感

やっと言葉に出せるような気がしたので一気に書いてみる。

簡単に言えば、プライオリティの立て方がおかしい、ええと優先順位の付け方の根拠に根本的な違いがあるんだなということを感じた。

近視眼的にものを見過ぎなんではないか、というところ。
企業優遇措置を取る方向に国家や行政が動くこと自体はまわりまわって個々人によい影響をもたらすことが明白ならば良策といえるが、いずれにしろ全ての方策は誰でもない私やあなたのような個々人を幸せにすることを根本に考えられているべきではないだろうかと俺は思っているわけで。

遺伝子組み換え食品ネタにしろ、こんにゃくゼリーの事件にしろ、本当に気にするとこはそこじゃねーだろ、っていうのはいろいろ折々にあった。
狂牛病の全頭検査とかにしてもそう。

すべてにおいて漏れるところの全くないような対策が取れるなんて思いはしないし、人間はそんなに完璧な存在じゃないと思うけど、核兵器によって終戦を迎えた自分たちだっていう認識が希薄なんじゃないかなっていうのは小さいころから常々思ってた。原爆病院で生まれのに、被曝手帳は「もらわないほうがいい」とかそういうのもよくわかんないながらもよくわかってたというか。
俺が小さいころなんかはまだ長崎の浜ノ町(繁華街)とかでアコーディオン弾いて戦争被害を訴えるおじいさんみたいのとか、被曝によって…みたいなことを訴えてるひとなんかがいた。
で、そういうのは大半がフェイクであって、本当に困ってる人と状況を利用してるだけの人は見抜かないといけないんだなっていうことを、子供ながらに知ったりした。

ある時気づいて疑問だったのが放射線治療みたいなのを誰かがやってるってこととか、レントゲンとかも放射線の仲間みたいのを使って撮影してるんだ、とかで、根本的には「使いよう」でいろんなことが出来るシロモノなんだなと。
で、どこかのタイミングで「原子力発電所」ってものがあるってことを知った。
日本は石油がないから、原子力発電所が必要なんだって、俺が生まれたばっかりくらいのころにオイルショックってのがあって、それで痛い目を見たから、また恐慌になんないで済むように、原子力発電するんだって。
鉄腕アトムなんとなく好きだったけど、アトムの腹の中のエネルギー源は原子炉だってこととか、なんとなく知るようになる。
原子力爆弾よりも原子炉は危ないもんではないと思ってたら、チェルノブイリが起きた。
そんでやっぱり駄目じゃんってことをみんな学んだはずだから、原発なんて遅かれ早かれなくなってくもんだと思ってた。
実際は全然増え続けてたこととか知らず、一生懸命に原発反対を歌う人や訴える人に、そんなに目くじら立てて頑張るもんでもないさ、とか思ってた。
忌野清志郎の歌を聞いて、一緒に歌いながら「そうだそうだ」とかなんとなく思ったりはしても、力一杯訴えて行動を起こすようなもんでもないと思ってた。

正直今になっても一生懸命運動する気はない。それがもし叶うのなら、全てを捨ててでも立ち向かうなんて思えない。
日本だけが原発のない場所になっても、この流れはたぶん止まんないだろうなってのは容易に想像つくから。
ただ、本当のことを見つめていくとすれば、原発でもカタチが新しくて調子いいものはうまく活用して、不味そうなのは急いで廃炉して、今あるものの再構成を、起きた悲惨な事故や事件の経験を元にきちんと検証して法整備するべきだと思ってる。法律的に曖昧というか、規定されていない状況を運用でカバーする部分が多すぎる今のやり方は最悪だと思ってる。
そういう不要な曖昧さが今回みたいな人災を招いたんだとも思っている。
科学的な知識の有無をあまりにも高度なレベルで要求する人たちもどうかと思うが、政治家や政府で要職にある人間が正しい判断をするために必要な知識と情報を手に入れ、把握することが出来ない、正しい判断が出来ないという状況はなんとしても避けたいものだと思った。
それこそ自分たちが抱えている脆弱性なんだろうと。

そして実際に業務を進めていく上で、不要不急なものを無理に進める必要はなく、事態の収拾まで、生命と尊厳の維持を第一に行動すべきだという判断があのタイミングで出来なかった沢山の人々には失望した。
理性的な行動を取るならばその中でいかに協調して、みずからの庇護されべき対象を守るために動くかと考えることがもっともよい判断なのではないかと思っていた。
更に言えば、その判断を瞬時に取れなかった沢山の指導者に失望したのを忘れない。
また同時に、意見が異なっていたとしてもすぐに判断と行動を起こせた人たちにはいまだ畏敬の念を感じる。

伝えるべき情報を隠し、起きても居ない問題を恐れ、起きていることに対処しなかった人たちのことを忘れない。
声を掛け合って、起きていることを見つめ、話し合って対処を決めて行動した人たちのこともまた忘れることはないだろう。

やはり明確に言葉には出来なかったが、あの時に感じた違和感を、感じないで済むような世の中にしていくためにももっと、これに向き合って、対抗していかなければいけないんだと思う。

厭世観やモラトリアムみたいなものとか、ドーパミンのもたらす恍惚感とか、いろんなものと戦いながら、その答えを模索する状態におかれてたからこそ、今また思い出してる。

今も、その時も本来的な状況は変わらない。
常に時間は流れているからこそ、行動を起こすのに遅すぎるということはないんだ。