2014-01-10

2011年3月11日に感じた違和感

やっと言葉に出せるような気がしたので一気に書いてみる。

簡単に言えば、プライオリティの立て方がおかしい、ええと優先順位の付け方の根拠に根本的な違いがあるんだなということを感じた。

近視眼的にものを見過ぎなんではないか、というところ。
企業優遇措置を取る方向に国家や行政が動くこと自体はまわりまわって個々人によい影響をもたらすことが明白ならば良策といえるが、いずれにしろ全ての方策は誰でもない私やあなたのような個々人を幸せにすることを根本に考えられているべきではないだろうかと俺は思っているわけで。

遺伝子組み換え食品ネタにしろ、こんにゃくゼリーの事件にしろ、本当に気にするとこはそこじゃねーだろ、っていうのはいろいろ折々にあった。
狂牛病の全頭検査とかにしてもそう。

すべてにおいて漏れるところの全くないような対策が取れるなんて思いはしないし、人間はそんなに完璧な存在じゃないと思うけど、核兵器によって終戦を迎えた自分たちだっていう認識が希薄なんじゃないかなっていうのは小さいころから常々思ってた。原爆病院で生まれのに、被曝手帳は「もらわないほうがいい」とかそういうのもよくわかんないながらもよくわかってたというか。
俺が小さいころなんかはまだ長崎の浜ノ町(繁華街)とかでアコーディオン弾いて戦争被害を訴えるおじいさんみたいのとか、被曝によって…みたいなことを訴えてるひとなんかがいた。
で、そういうのは大半がフェイクであって、本当に困ってる人と状況を利用してるだけの人は見抜かないといけないんだなっていうことを、子供ながらに知ったりした。

ある時気づいて疑問だったのが放射線治療みたいなのを誰かがやってるってこととか、レントゲンとかも放射線の仲間みたいのを使って撮影してるんだ、とかで、根本的には「使いよう」でいろんなことが出来るシロモノなんだなと。
で、どこかのタイミングで「原子力発電所」ってものがあるってことを知った。
日本は石油がないから、原子力発電所が必要なんだって、俺が生まれたばっかりくらいのころにオイルショックってのがあって、それで痛い目を見たから、また恐慌になんないで済むように、原子力発電するんだって。
鉄腕アトムなんとなく好きだったけど、アトムの腹の中のエネルギー源は原子炉だってこととか、なんとなく知るようになる。
原子力爆弾よりも原子炉は危ないもんではないと思ってたら、チェルノブイリが起きた。
そんでやっぱり駄目じゃんってことをみんな学んだはずだから、原発なんて遅かれ早かれなくなってくもんだと思ってた。
実際は全然増え続けてたこととか知らず、一生懸命に原発反対を歌う人や訴える人に、そんなに目くじら立てて頑張るもんでもないさ、とか思ってた。
忌野清志郎の歌を聞いて、一緒に歌いながら「そうだそうだ」とかなんとなく思ったりはしても、力一杯訴えて行動を起こすようなもんでもないと思ってた。

正直今になっても一生懸命運動する気はない。それがもし叶うのなら、全てを捨ててでも立ち向かうなんて思えない。
日本だけが原発のない場所になっても、この流れはたぶん止まんないだろうなってのは容易に想像つくから。
ただ、本当のことを見つめていくとすれば、原発でもカタチが新しくて調子いいものはうまく活用して、不味そうなのは急いで廃炉して、今あるものの再構成を、起きた悲惨な事故や事件の経験を元にきちんと検証して法整備するべきだと思ってる。法律的に曖昧というか、規定されていない状況を運用でカバーする部分が多すぎる今のやり方は最悪だと思ってる。
そういう不要な曖昧さが今回みたいな人災を招いたんだとも思っている。
科学的な知識の有無をあまりにも高度なレベルで要求する人たちもどうかと思うが、政治家や政府で要職にある人間が正しい判断をするために必要な知識と情報を手に入れ、把握することが出来ない、正しい判断が出来ないという状況はなんとしても避けたいものだと思った。
それこそ自分たちが抱えている脆弱性なんだろうと。

そして実際に業務を進めていく上で、不要不急なものを無理に進める必要はなく、事態の収拾まで、生命と尊厳の維持を第一に行動すべきだという判断があのタイミングで出来なかった沢山の人々には失望した。
理性的な行動を取るならばその中でいかに協調して、みずからの庇護されべき対象を守るために動くかと考えることがもっともよい判断なのではないかと思っていた。
更に言えば、その判断を瞬時に取れなかった沢山の指導者に失望したのを忘れない。
また同時に、意見が異なっていたとしてもすぐに判断と行動を起こせた人たちにはいまだ畏敬の念を感じる。

伝えるべき情報を隠し、起きても居ない問題を恐れ、起きていることに対処しなかった人たちのことを忘れない。
声を掛け合って、起きていることを見つめ、話し合って対処を決めて行動した人たちのこともまた忘れることはないだろう。

やはり明確に言葉には出来なかったが、あの時に感じた違和感を、感じないで済むような世の中にしていくためにももっと、これに向き合って、対抗していかなければいけないんだと思う。

厭世観やモラトリアムみたいなものとか、ドーパミンのもたらす恍惚感とか、いろんなものと戦いながら、その答えを模索する状態におかれてたからこそ、今また思い出してる。

今も、その時も本来的な状況は変わらない。
常に時間は流れているからこそ、行動を起こすのに遅すぎるということはないんだ。