クラウドの価値とこれからについて少しだけ考えてみた
1。ちょうどうでもいい。
下記はなんか考えようと思ってた際のベース。
クラウドとは何か?
もともとコンピューティング資源にアクセスする時には「端末」を使っていた歴史がそれなりに長く存在していて、その後の「パーソナルコンピューティング」革命によって自分の利用している端末そのものでコンピューティングするようになったものを、「インターネット」革命によってまた”中央”がネットワークの向こう側になったもの、そのうち特定のサーバに依存するわけではないものをクラウドと呼んでいる、というのがザックリとした私自身の理解。それまでの「サーバ」という呼び方をやめたのは仮想化技術の発展によってハードウェアという実態とマシンとしての環境そのものの対応が一対一でなくなったことが大きいのかなと思っている。
どういうところが素敵なのか?
利点は何なのか。
端的に言ってしまえば、コスト削減なのではないだろうか。
このコストには金銭的な部分だけでなく運用しているサーバのお守り、構築や保守の手間などのコストも当然含まれている。
コンピューターの利用がようやくサービスの域に達したと考えてもいいのかもしれない。
荷物を直接自分で運ぶのと、宅配便などを利用するのと、どちらが安心で安価だろうか、ということとやや似ている。
いっそのこと、どこかの段階で郵便のようにインフラとしての平準化には国家やそれより大きい規模の標準化がなされる未来というのもあるのかなとかも思う。
少なくともクラウド化以前は、インターネットで何かしようと思った場合も実際のイベントでの会場設営と同じように、来てくれるお客さんを収容するだけの設備を用意しておかなければ、お客さんをそもそも収容出来なかったり、まともなサービスをうけさせられなかったりしたものだ。
逆に言えば、お客さんが期待したほどこなかったとしても、きちんと席を確保しておいた分の費用負担はそれぞれの事業者にとって必須の事項だった。
インターネットで何かをしようとする人は、クラウド+仮想化によって、無限にパーティションの位置をずらしたり追加の椅子の確保出来る店舗を手に入れた。
この可用性の高まりもまたメリットに他ならないのではないだろうか。
どういうところが心配か?
当然ながら自前で何もかもを用意する場合とは異なり、事業者の用意した範囲でのコンピューティングとなるため、完全な独自仕様を貫けないシーンが出て来る。
特殊な与件はお断り、ということになる。
ある程度の公共財となってしまうため、悪意をもった攻撃者の標的にもされやすいと思ってもよいだろう。誰にも知らせずにひっそり運用しているつもりでも同じクラウドサービス内であるというだけで標的にされる危険性が高まる可能性はゼロではない。
当然、自らサーバー運用する場合でも攻撃される危険性は変わらないという考え方もあるが、クラウド事業者によるバックアップ破損事件のような利用の是非を考え直したくなるような事故も皆無ではない。
SLAもたいていは返金(利用できなかった時間の分だけは返すよ)する規定が存在するだけで、稼働しなかった間にそのコトによって発生した被害は保証されないことが大半だ。
またこれは個人情報の流出事故についても同じなので、大事な情報はやっぱり扱いづらい、または扱えないよね。という認識もクラウドにはついてまわるのだ。
どういう効果をもたらしているのか?
今後どうなっていって欲しいのか?
まとめ
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