駄菓子屋とHacker

大学時代の友人が世田谷にて憧れの駄菓子屋を不定期に開店するという。

駄菓子屋体験の、現代版についていささかの興味もなかったが、自分自身の身の回りで起きたこととして、一昨年引っ越したことによって駅までのルートが変わったことによって子どもたちの間で長年の聖地として扱われてきていた「ムサシヤ」を頻繁に通過するようになったことが、ささやかな興味を喚起しなかったとも言えなくもない程度に、脳内の隅っこにはあった。
「ムサシヤ」というこの駄菓子屋、界隈ではそれなりの遠いところまで(もはやよその中学の学区ですら)知れ渡る程度には有名であって、本来はどうも豆屋が商いであったらしいが、店構えからして立派な、完成された駄菓子屋であるばかりか、現役のコミュニティがそこにはあり、小学校低学年から大学生程度の子まで、界隈のキッズがつどう不思議な店ではあるようだ。
地元のフリーペーパーの手伝いをまれにやっているおかげか、わりかし近所の商店街の裏事情にも精通しているのだが、やはりこの手の店は公序良俗的にはそこそこ好ましく思われていないらしいと聞くにつれ、より「さすがムサシヤ!」などと思うのだが(知らないくせに)自分自身のこととして考えた時に一種の嫉妬心があるのは、こういった永続的な(永遠に続くとすら思われるような)地元のコミュニティに対する憧れとセットで、転勤族とまではいかないが連続起業家でもあった(いや、現在進行形で新規事業をやってもいるのだが)父親の影響で転校と引っ越しばかりだった自分にとっての「マイ駄菓子屋」が実際のところはもはやどこにもないことによるものだろう。

そう、それは故郷の喪失でもあるし、帰るべき地元を持たない自分の感じるセンチメンタルな時間を満たす場所として、駄菓子屋は一種特殊な場所なのだ。

幼少期を振り返れば、ガチャガチャ全盛期に五円玉を細工して百円玉として利用できる裏技の跋扈、なぜか駄菓子屋に併設されていたインベーダーゲーム機(当然テーブル筐体が多かった)へ、電子ライターの着火ユニットを押し付けてパチパチやることで誤動作を呼びクレジットを増やすもの、はたまた筐体の鍵を開ける合鍵を作ってしまって実際に開けてクレジットを入れてしまったり、設定を変更してしまうものまで、たくましい子どもたちであふれていた。これは時代のせいなのだろうか?
確かに今も細工をすれば何からの成果が得られそうな「アマい」ゲーム機や、くじなどが駄菓子屋の店頭には並んでいる。しかし、いまや誰一人としてこれらに挑戦するものはいないという。そしてそれを破ることのあるごくわずかな人間は、コミュニティからも異端者として扱われるそうだ。
(自分自身が知らない間に異端者と思われていたのでは?これを書いてて気づいた)
何にでも、仕掛けや仕組みがあり、それを見極め、理解し、Hackすることで、思わぬ結果を呼び(もちろん、思わぬ、に自分は入らない。その結果を呼び込むために細工してるのは他ならない自分なのだから。)まわりを驚嘆させるステージとして、駄菓子屋ほどふさわしかった場所はなかったし、限られた時間のなかで子どものコミュニティ内でひとかどの人間として認知されるべく必死な私にとって、重要な場所でもあったのだ。

なんだ、それなりに語れるじゃないか。

本来駄菓子屋についての記述で期待されるだろうところの商品との関わりや思い出についてはあまり書きたいこともない。
いまだにあのなぞの「ヨーグルト」は買う、というくらいだろうか。
あの粉っぽい、なぞの酸味をともなったお菓子を、木のヘラですくってたべるときにめぐる気持ちは、遠くの夏の空につながっている。

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