私と音楽

スタジオにおける音響制作、サウンドデザインとして理解されるそれは、音楽そのものの制作とは別のものであるという認識がまだまだ大勢を占めているのではないかと思う。

もっと言えば、一般の人にとってはスタジオというのは歌手の人が金魚すくいみたいなものの前で大きなヘッドホンつけて歌入れるときに行く場所、くらいしか認識もなければ興味もないのではないだろうか。

自分なりに、(音楽)アーティストが所有する個人スタジオから予算があるときにしか使えない(MAの)スタジオ、映像収録のために訪れたバンド演奏収録が出来る大きめの録音スタジオ、放送局内の映像編集スタジオ、生放送を行うためのスタジオ、ナレーションを録音するためのスタジオの大きなもの、はたまた低予算の地方の一軒家を改造したスタジオから人里離れたプライベートに近い形態のスタジオまで、さまざまなスタジオを体験したが、結局のところ(それは音楽に限らず、テレシネなどの領域や映像編集におけるときも同じように)エンジニア、オペレーターと呼ばれる職人によって、演出家やアーティストは作品づくりにおける創造性を刺激され、大いに作品世界を拡げて行くことが出来るものだと理解している。

つまりは、人なのだと。

そのエッセンスをどう落とし込んで行くのか、クリエイティビティの発揮できるエンジニアをどう育て、どう素晴らしいスタジオを構築するのか、というテーマについて近年考えている。

webをさまよってたら素晴らしい良記事に出くわしたので、印象的な動画と共に引用しながら紹介したいと思う。

楽器/インストゥルメントとしてのスタジオの歴史パート1 ― 初期反射

https://www.ableton.com/ja/blog/studio-as-an-instrument-part-1/

ピエール・アンリピエール・シェフェール

ミュジーク・コンクレート」分野の創始者と考えられている二人。
ターンテーブルを用いた演奏から、テープを使った楽曲作りへと発展していったようだ。

現代における発展系についてはこの記事あたりが詳しく、とても参考になる。

『鉄道の義務またはエチュード』は、1948年に公開放送された初のミュジーク・コンクレート作品となりました。簡潔なコラージュは、シェフェールがパリ北駅で録音したいくつかの音をつなぎ合わせたもので、それぞれのサウンドをシェフェールは「音響オブジェ」(サウンド・オブジェクト)と呼びました。これは、文脈から切り離され、それゆえに作品内に独自の存在感を持ち得る音を指します。



自然音の中に存在する人工の造形物が出すサウンドはけたたましく、それゆえに我々にとって「意識的には聴かない音」であると同時に、実際に音響としてスピーカーから、はたまたヘッドホンからあらためて聴くと全く違った意味合いを帯びる。
これら具体的な音によって音楽を構成する、器楽によるものだけを音楽の範疇としないという試みとして新しいものであったのだろう。
新しいテクノロジーが新しい表現となりうる、という発想がエコール・ポリテクニークでどう培われたものなのかはとても興味深く、いつかまた触れてみたいと思う。

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