電車の中から

Twitterに書けば済むような話でも、定量化した格好ならそれなりの需要を喚起するのではないなと思って書きはじめたけど、やはりタイピングの快感はフリックにはなくて、筆は遅々として進まない。
最近とみに思うのは、書体の見映えの気持ちよさという感覚が、一般にも浸透して来たなあということ。

そしてこうやって書き進めていくにつれ、このbloggerのアプリがコンテンツに合わせて入力エリアをスクロールさせることすらしないゴミアプリだということ。
こういう体験ひとつひとつに思いを馳せて物を作る時間を無くした事実に気付かないといけないのだろう。
大きな、体験の礎になる方針を決めたら、そのあとは心を教えて後進に託すしかないのだ。

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