対称性のある社会、非対称性のある社会

どこかではポンコツだと思われていて、なぜかやる事なす事ケチがつく。
一生懸命に熟慮して準備したものを出発点から違うと否定される。

また一方ではカリスマ視されていて、ちょっとしたアドバイスやアイデアの吐露が劇的に状況を変化させることにつながって望外に感謝されたりする。

どこかの学校に転校したら地域社会ごと嫌われていじめられ、
また別の学校に転校したらヒーローとあがめられるようなものである。

これらは本当に当事者の実力なのだろうか?
いったいぜんたい、他人の評価というものはどういうところからあらわれるものだろうか?

他人の信念によって動くことより、自分の信念によって動いた方がそのどちらの評価がくだっても納得感のあるものになるのだろうか?



結局は、成功するということは「実態はさておき」よい評価を勝ち得て、沢山のひとに望まれ、財布を開かせ、実際に使わせたときにはじめて達成されるものではなかろうか。

本当に本当に奇跡のような、地上の宝石のようで、かけがえのないものであるにも関わらず、誰からも見つけられず、認められず、愛されずに終わるものや忘れ去られていくものもある。

これらに違いをもたらすのは何か?

それをものにすることこそもっとも重要な成長の糧となるだろう。

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